費用対効果、時間対効果を重視する生き方を提唱するようになってから久しい。しかし、そのような効率主義は、人を幸福にするのだろうか?効率主義的な生き方の実態について考える。
もともとSNSは人と人との「つながり」をオンライン上に具現化するサービスだった。しかし今やSNSとは名ばかりのコンテンツ配信サービスと化してしまった。そんなSNSの終焉についての連載記事。
経済的成功を収めること、生涯のパートナーと出会い結婚し家庭を築くこと。そのような世間的に盲信されていることは違った観点で、幸福について考える連載記事。
効率主義は個人の選択のように見えて、実は資本主義という文化を複製するために、自らを「使い捨ての乗り物」として最適化しているのではないか?
費用対効果を重視する生き方は、個人の幸福という観点で見た場合、本当に理にかなっているのだろうか?
今やSNSとは名ばかりのコンテンツ配信サービスと化してしまった。本来のSNSを取り戻そうとする動きに期待した時期もあったが、もはやつながりを具現化するSNSはもはや不要だと思っている。
投稿の全削除は悪いことのように捉えられがちだ。しかし過去に区切りをつけ心機一転して新しい環境に適応しようとする、そんな前向きな全削除も多いと思う。黒歴史化した過去の投稿は、成長の残滓とも言えるだろう。
費用対効果(コスパ)や時間効率(タイパ)が重視されるようになって久しい。このような効率主義とは決別するべきだと最近の私は強く思うのである。