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効率主義は幸福になれる生き方か?

知人にこんな人物がいる。彼は高収入で十分な資産を持ちながら、同時に倹約家でもある。こう書くと、質素な生活に満足しているように思えるかもしれないが、実際はそうではない。

彼は在宅ワークをしており、妻はフルタイムで外で働いている。そのためか、食事はほとんど弁当で済ませているらしい。自炊は面倒だからしないという。

彼の住まいは都心にあり、周囲に飲食店も豊富にある。健康的な食事を提供するお店も少なくないはずだ。自炊が面倒なら、そうしたお店で毎日外食することも十分可能な経済力があるのだから、そうすればよいと思う。

さらにいえば、彼の経済力なら家政婦を雇って食事を作ってもらうこともできるだろう。しかし、そうした発想はまったくないようだ。その上、健康診断で悪い結果が出ても、食生活を改善する気も運動する気もないらしい。

この知人は現在50代で私と同年代だ。20代の頃からの付き合いだが、当時からあまりお金を使わない傾向があった。しかし、その頃は特に不自然には感じなかった。当時の私たちに資産などなかったし、むしろ浪費癖のある私の方に問題があると思っていたくらいだ。

倹約家の彼は、30代にはすでに資産と呼べるほどの貯蓄を築いていたようだ。珍しく大枚を叩き、高級車を購入したこともあった。友人と集まって旅行へ行ったり、ロードバイクを所有してサイクリングに出かけたりしていた時期もあった。

しかし、高級車はすぐに売却し、今ではあまり外出もしなくなったらしい。これまでの消費行動は、彼の所有欲を満たすことも、趣味として定着することもなかったようだ。

彼はお洒落に興味はなかったが、見た目がダサいと恋愛で不利になることは自覚していたため、若い頃は多少なりとも身なりに気を遣っていた。しかし、結婚を境に服装にだんだん気を使わなくなった。今では「ダサい」というより、むしろ「見すぼらしい」とも言える格好をしている。

彼は消費欲がない代わりに、モテたいという思いには人一倍強い執着があり、恋愛や結婚を人生の重要な要素として捉えていた。しかし、いざ結婚すると、身なりはおろか、健康にさえ気を遣わなくなってしまった。

結婚生活についても、あまり満たされていない様子がうかがえる。妻とのいさかい、子育ての大変さなど、結婚が永遠の幸福を約束するものではないことなど、最初からわかりきっていたはずである。

その上で、「人生におおむね満足しているから、いつ死んでもいい」と口にしている。重い病を患っているわけではなく、定期的に運動すれば健康も取り戻せるはずだ。まだ50代で、十分な資産もある。人生を楽しむ余地は、まだいくらでも残されているはずである。

今になって振り返れば、彼の消費行動は、ただ「モテる」「出会いにつながる」ことを期待したものにすぎなかったのかもしれない。つまり、彼にとって消費とは、結婚に向けた費用対効果を意識した行為だった。それ以外の個人的な消費は、ほとんどしてこなかったように思える。

彼には、自分のためにお金を使い、人生を楽しむという発想が決定的に欠けているようだ。しかし、「今を楽しむ」ことも、費用対効果の一つではないだろうか――と、浪費家の私は思うのだ。

最近の若者は、費用対効果(コストパフォーマンス)や時間効率(タイムパフォーマンス)を重視すると言われるが、知人の彼は若い頃からそれを体現するような生き方をしてきたように思う。

私から見ると、知人も効率主義の若者も、日常の楽しみを削り、結果として幸福度を下げる生き方をしているように思える。効率を重視するあまり、「今を楽しむ」ことが後回しになれば、気づいたときには楽しみの少ない人生に行き着いてしまうのではないか。

果たして、効率主義とは個人の幸福を高めることを目標とした場合、本当に合理的な生き方なのだろうか。