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効率主義者の実態──彼らは何を目的に最適化しているのか?

効率主義者の実態──彼らは何を目的に最適化しているのか?

効率主義という生き方の実態

需要があるものを安く、早く、大量に供給する。これが資本主義の基本的な力学である。

かつてお洒落にはお金がかかったが、今や安価なファストファッションが市場を席巻している。ファストファッションはシンプルながら見栄えがよく、誰にでも似合いやすい。カラーバリエーションも豊富で、自分に合った色を選びやすい。

もちろん、こうした仕組みは企業が利益を最大化するために設計したものだ。装飾の少ないシンプルな衣類は大量生産に適しており、低コストで生産できるため、安定した売り上げを確保しやすい。

さらに、企業は安価な価格を維持することで、消費者に耐久性の低さを許容させ、翌年には新しいデザインを展開することで購買意欲を刺激し、継続的な売り上げを狙っている。

品質の良し悪しが目立たない部分にファストファッションを取り入れて、お洒落を楽しむ人もいる。一方で、お洒落に興味はないものの、服装がダサいと友人関係や恋愛に支障をきたすため、仕方なく最低限マシに見える服を選び、ファストファッションを利用する人もいる。

そもそも、彼らはお金も時間も服に割きたくない層だ。そして、多くは結婚を境に「身なりに気を使うのは時間の無駄」と考えるようになり、お洒落を放棄していくのだろう。前回取り上げた知人も同じ道をたどっている。

仕事と家事の忙しさを理由に、自炊は面倒、きちんとした外食は高いと考え、コンビニやデパートの弁当や惣菜で済ませる。また、ファストフードで済ませる人もいる。中には、食事を選ぶ時間すら無駄と考え、完全栄養食だけを摂取する人もいる。

これらの行動は、自らお金を支払っているものの、純粋な消費行動と言えるのだろうか。むしろ、資本主義というシステムによって「配給」される衣類をまとい、歯車のように働く合間に、同じく「配給」された食事を口にしているに過ぎないのではないか。

これは、まさしく「社会的家畜」と呼ぶべき姿ではないか。

効率主義者は何を目的に最適化しているのか?

人生の効率化を追求し、あらゆるものを「無駄」として削ぎ落とした結果、最終的に価値あるものとして残るのは何か。それは、仕事、結婚、子育てといったものではないだろうか。

つまり、効率主義的な生き方とは、これらをできる限り効率的にこなし、その効率を低下させる要因を排除することにほかならない。

現代社会において、ほとんどの仕事は資本主義経済の枠組みに属している。資本家も投資家も賃金労働者も、資本主義経済を回すために働いている。こうして、資本主義という文化は自己複製を繰り返しながら、その価値観を維持し、拡張していく。

資本主義経済のもとでは、既存の価値の生産効率が向上し、より安く、大量に供給されるようになる。そして、それらを消費すること自体も、資本主義の維持と拡張を促す。こうした生産と消費のサイクルは、資本主義という文化を未来へと自己複製し続ける仕組みである。

効率主義者にとって、この経済のもとで働いて得たお金は、結婚や子育てといった将来のためにできるだけ多く割り当てるべきだと考えられるようになる。その結果、「今を楽しむ」ことは非効率な浪費と見なされ、抑え込まれる。そして、安価な大量生産品を選ぶことが合理的と考えるようになり、その消費行動が定着していく。

結婚や子育てを遺伝子レベルで捉えれば、それは遺伝子を複製し、次世代へと受け渡す行為 である。遺伝子の複製は、人間を含むあらゆる生物の本能的な行動原理であり、自然界の生物の行動も多くがこの目的に適応している。

リチャード・ドーキンスは、著書『利己的な遺伝子』の中で、遺伝子にとって、生物は自身の複製を残すための「使い捨ての乗り物」に過ぎない と論じた。さらに、人間の脳は文化情報を次世代へと継承する役割を持つことから、文化情報も遺伝子と同様の「自己複製子」であると説いた。つまり、文化情報は人間の脳を「使い捨ての乗り物」として利用しながら、自らを未来へと複製し続けるのだ。

この観点に立てば、効率主義者が仕事、結婚、子育てを効率的にこなそうとする生き方は、自己複製子の複製を促進するよう最適化されていると言える。言い換えれば、自己複製子の「使い捨ての乗り物」として、自らを効率的に組み上げているということだ。