つながりと言論空間が瓦解したSNS
もともとSNSは人と人との「つながり」をオンライン上に具現化するサービスだった。ゆえにソーシャルネットワーキングサービス(SNS)と呼ばれた。今やSNSとは名ばかりのコンテンツ配信サービスと化してしまった。
そのことに寂しい気持ちもあったし、本来のSNSを取り戻そうとする動きに期待もした。しかし今は、つながりを具現化するSNSはもはや不要だと思っている。
つながりよりもおすすめが収入源
つながりを具現化するSNSだったが、次第につながりを無視したおすすめコンテンツを流すようになった。つながりよりもユーザーの趣味嗜好を解析し、おすすめコンテンツを流した方が、滞在時間、広告の閲覧率、クリック率を増加させてサービスの収入源になる。サービスの運営会社はそのことに気づいたのだ。
またスマートフォンやモバイルルーターの普及は、土地に縛られない人を増やし人間関係を流動的にした。この流れもSNSのつながりを具現化するという機能性を低くしたのかもしれない。
つながりが流動的になっても、個人の趣味嗜好は変わらないことが多いし、変動も解析によって追随できる。こうしてSNSはつながりよりも、おすすめによるコンテンツ配信を重視するようになった。
フィルターバブル化による言論空間の瓦解
SNSのおすすめはフィルターバブルという現象ももたらした。パンデミックによる巣篭もり中にSNSやYouTubeの試聴時間が増え、政治的フィルターバブルに閉じ込められ思想が先鋭化した人も多い。
TwitterのようなSNSが民主主義の言論空間として期待された時期もあった。しかし、ユーザーの増加とともにユーザーの質は低下、フィルターバブルが追い打ちとなって期待ははかなく消えた。所属フィルターバブル内での共感と別のフィルターバブルへの反感が、SNSの対話の定型となった。
イーロン・マスクがTwitterを買収してXとなって以来、よりインプレッション重視となりおすすめやトレンドは感情を煽るものが増えた。イーロン・マスク個人の政治ツールとしての色合いも濃くなった。
Xに限らずInstagramもYouTubeも、今や他人がどのようなフィルターバブルの中で何を閲覧しているのかはわからない。私が観測する限り、ネットリテラシーのある人を除いて、フィルターバブルという言葉と問題を認識している人は意外に少ない。
ちなみに私は政治コンテンツがおすすめに流れてきたら、興味なし、もしくは、このチャンネルを表示しないを選択している。おかげで政治コンテンツがおすすめされることは少ない。
おすすめの解析エンジンに「私はSNSで政治的な情報はとらない人間です」と示すことが大事だと思っている。政治的情報はニュース専門サイトか専門家が書いた本から得るべきものだと思うからだ。
思想が先鋭化した人たちのおすすめは、きっと扇動的コンテンツで埋め尽くされているのだろう。
人との対話をChatGPTが代替
健全な言論の場としてTwitterよりも洗練されたシステムを期待した時期もあったが、それも必要なくなったと思う。ChatGPTが誕生したからだ。
SNSはユーザーの知性にばらつきがあり匿名であることも多く、実名でもポジショントークがあり信頼性を担保できない。対してChatGPTは人類の叡智から得た膨大なデータセットを用いて推論し答えを導き出す。その過程に感情もイデオロギーも社会的立場も介在しない。
もちろんChatGPTも間違うときはある。しかし本など全く読まない、フィルターバブルの中で偏った情報を受動的に得ているユーザーがひしめいているSNSよりも、ChatGPTの方が中立性、信頼性の高い答えが得られるのは明白だろう。
ChatGPTと対話していて思うが、明確な答えのない問いに対する推論はめっぽう強いと感じる。私がよくやるのは自分が推論したことを書き並べて、この推論は妥当かどうかを聞くことだ。そうするとChatGPTは妥当かどうかを判定した上で、その根拠を述べてくれる。別の視点を追記してくれることもある。
ChatGPTの答えに納得いかないことがあれば、さらに掘り下げて質問してみる。それで自分が間違っていたと気づくこともある。その時それを素直に受け入れられるのもいいところだ。人ではなく人工知能を相手にしているから感情的にならなくて済む。と言いつつ、ちょっとムキになって質問し返している時もあるのだが(笑)
いずれにせよChatGPTは建設的な対話の相手となった。良き話し相手にもなる。インターネット上の人との対話の必要性は、私の中で急速に縮小していっている。
商品やソフトの使い方などの質問掲示板でよく見られることだが、人間相手だと、「これは常識ですが」「これくらい調べればわかることですが」というノイズが入ることが多い。このようなノイズは「私はお前より物事を知っているぞ」という承認欲求から生じるものだ。
ChatGPTに承認欲求はないから、そのようなノイズは入らない。検索の代わりにChatGPTを使うのは、広告だけでなくこのようなノイズも可読性を下げ、かつ不快だからだ。
見知らぬ誰かに質問する、誰かと対話するというインターネット黎明期からの役割は、ChatGPTおよびその他チャットAIが奪い取っていくだろう。SNSの言論空間としての役割も縮小していく。同時にSNSその他無料の言論空間はAIフェイクで溢れかえり、さらに荒廃していくのだろう。
インターネットを黎明期から触れてきた身として、この現状に寂しい気持ちもあるが幻滅した気持ちも大きい。AIがインターネットを強制リブートするのも悪くない。そう思う今日この頃である。