結婚が幸福の条件であるという固定観念はどこからくるのか
多くの人が幸福な人生の条件として掲げるものが、「結婚」である。生涯のパートナーとなる相手を見つけ、家庭を築くこと。それが至上の幸福であるかのように考える人は多い。しかし周囲を見渡してみると、幸せな結婚生活を送っている人はそれほど多くはない。新婚カップルを除いては。
自分の両親は幸せな結婚生活を送っている。そんな両親に憧れているから自分も結婚したい。そういう人よりも、自分が物心ついた時には喧嘩ばかりしていた、ほとんど会話のない夫婦生活を送っている。そんな両親のもとで育った人の方が多いのではないだろうか。
自分もそのような両親のもとで育ったが、特別自分が不幸だと思ったことはなかった。周囲の情報から、どこの家庭も似たようなものだとわかっていたからだ。にもかかわらず、私も若い頃は生涯のパートナーを見つけて結婚することが、幸福の条件であるかのように思っていた。
50代になった今では、幸福を感じる要素は多様にあるし、結婚は必要条件ではないと理解している。むしろ結婚は人生の自由度を下げるし、若気の至りでしなくて良かったとすら思っている。なぜ人は客観的事実を無視して、結婚したら幸せになれると思うのだろう。
これは遺伝子プールと文化的遺伝子プール(ミームプール)の淘汰圧の方向によるものだと思う(以後これらをまとめてプールと呼ぶ)。プールの淘汰圧は次世代に遺伝子の複製を多く残す方向に働くようにできている。
人間にとってのプールの淘汰圧は、人間という種が存続するのに有利な遺伝子が優先して残るように働くのであって、人間の幸福を最大化する方向には働いていない。人間の習性は、そのような形質のもとで選択された遺伝子の影響を受けている。
人間が客観的事実を無視し、結婚が幸福の必要条件のように感じる理由は、ここにあるのだろう。人間の子供は自立するまで時間がかかる。よって男女がペアとなり子供が自立できるまで共に生活して育てるという習性は、遺伝子の複製を残す上で有利に働く。
もっとも太古の人類に制度的な結婚はなかった。男は狩りに出なければならないし、子供が自立する前に命を落とすことも珍しくなかっただろう。群れの中で主に女同士が協力して子供の面倒を見ていたようだ。このような時代、子供が自立するまで両親はペアでいなければならないという観念は希薄であったと考えられる。
転機となったのは農耕時代に入ってからだろう。農業で食料を生産できるようになると、男が危険な狩りに出る機会は少なくなった。さらに土地の所有権という概念が生まれ、血縁を重視するイエという概念が生まれた。
血縁重視のイエという概念が強くなると、両親がペアで子供の面倒を見る重要性が高まってくる。そのほうがイエの存続が安定するからだ。また各イエの安定はムラという共同体の安定にもつながる。そして制度的な結婚という概念が生まれた。
当時は自由恋愛で結婚することは稀で、イエや共同体の利益・存続に基づいて結婚するものだった。そのような時代に、生涯のパートナーを見つけて結婚することが幸福の条件とは考えられていなかっただろう。
自由恋愛が一般化したのは、さらに文明が発展し、一部の人間が農業に従事するだけで十分な食料を供給できるようになってからだ。都市化が進み、イエやムラから離れて都市部に移住する人が増えると、個人主義が台頭。パートナーは自分で選ぶべきものという考えが強くなった。
都市部に移住した者は、イエやムラの存続など考えなくてよいし、食うに困らない収入を得さえすれば、結婚せず気ままに暮らしてもいい。しかし今なお、結婚して家を買い、子供と一緒に暮らすほうが望ましい人生だと考える人は多い。
それは人間が自らの遺伝子を複製するために選択された存在だからだ。結婚という文化的遺伝子は、生物的遺伝子の複製に有利に働く。ゆえに結婚という文化的遺伝子は高い複製能力を持つのだ。
しかしこのことは人間の幸福とは直接関係のないことである。遺伝子の複製が成功した後、遺伝子の媒体である人間が冷め切った夫婦関係を送ろうが、プールの側からすれば知ったことはではない。この話の中で私が強調したい点である。
生涯幸福な結婚生活を送る人もいるが、それはプールの中で偶然起きたことに過ぎない。プールの淘汰圧は、多くの複製を残す方向にかかりはするが、それだけに最適化するわけではない。複製する上で大きくマイナスに働かない遺伝子も複製され次世代に残る。
このような中立的な遺伝子が複製とは直接関係のない偶然を引き起こす。結婚して子供が自立した後も、結婚生活に幸福を感じられる遺伝的形質を偶然引いてくる場合もある。しかしその確率はそう高くはないだろう。なぜなら複製に深く関わらない遺伝的形質だからだ。
この説に納得する人がいたとしても、多くの人はやはり結婚した方が良いと考えるだろう。複製に有利に働く遺伝子の働きによって、複製に不利に働く思考は打ち消される。そのように考えるのは、モテないことの言い訳ではないか、いやいや私は理想のパートナーを見つけられるに違いない、といった具合にである。
こうして今日も多くの人々が結婚は幸福の必要条件と疑わないでいるのだ。