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個人に幸福をもたらす中立的な遺伝子

前回の記事で結婚が幸福の条件であるという固定観念は、遺伝子プールの淘汰圧がもたらすと書いた。遺伝子プールの淘汰圧は、次世代により多くの遺伝子を残す方向に働く。言い換えると、人間の幸福を最大化する方向には働いていないということである。

遺伝子プールの中で多くの遺伝子を残す、つまり種の保存に有利な行動を促す遺伝子は優先して選択される。逆に種の保存に不利な遺伝子は選択から外れ、淘汰される可能性が大きくなる。

勘違いしてはいけないのは、種の保存に有利な遺伝子のみが選択されるわけではないということだ。どの遺伝子が残るかは原則ランダムである。種の保存に有利な遺伝子は選択される確率が高く、遺伝子プールの中で増殖する確率が高いというだけだ。

選択はランダムであるがゆえに、種の保存に不利な形質を持つ遺伝子も淘汰されるとは限らない。遺伝子プールの中で長きにわたって残り続けることもある。種の保存に特段有利にも不利にも働かない遺伝子も、遺伝子プールに残り続けることがある。「親知らず」はその典型であろう。

農耕時代以前の人間は、固いものを食べる機会が多く、現代人よりもアゴが発達していたらしい。現代人が親知らずと呼ぶ歯は、きちんとまっすぐに生え、固いものを食べるのに役立っていたという。

しかし農耕時代に入ると穀物が主食となり、固いもの食べる機会が減ってアゴは小さくなっていった。一番後ろの歯が生えるスペースは小さくなり、生えてくる時、痛みに苦しむようになった、ということらしい。

現代人には親知らずが生えない人もいるが、人類が農耕を始めてから1万年くらい経過しているし、親知らずは完全に淘汰されてしまって良いのではないか。と考えたくなるが、なぜ今なお淘汰されずにいるかというと、親知らずは特段、種の保存に不利には働かないからだろう。

子供を作り親が亡くなる頃に猛烈に歯が痛くなろうと、遺伝子プールの側からすれば知ったことではない。遺伝子の複製が行われた後、遺伝子の複製媒体である人間が苦しもうがどうでもいいことなのだ。

種の保存に有利にも不利にも働かず、遺伝子プールに残る遺伝子は中立的な存在である。しかし人間の幸福は、これら中立的な遺伝子によるところが大きいのではないかと思う。親知らずのようなものは別として。

たとえば私の「旅好き」という形質は遺伝子の複製に有利には働かないだろう。太古の人類なら、食料の調達範囲を広げ、子孫を残す相手と出会うのに有利に働く形質と考えられる。現代でも旅好きな人は出会いの機会を増やす可能性はあるが、50歳過ぎても旅好きを維持する形質は、遺伝子の複製にほとんど貢献しないだろう。ちなみに私の父親は80歳近いが、私との旅行を楽しんでいる。

服好きという形質も同様である。おしゃれをすることは外見にブーストをかけることだ。それで異性に魅力を感じてもらえれば、自らの遺伝子の複製に役立つ。しかし50歳過ぎても服が好きという形質は、遺伝子の複製にほとんど貢献しないだろう。ちなみに私の父親も80歳過ぎてもおしゃれを楽しんでいる。

その他、写真や動画の撮影好き、食べ歩き好き、酒好き、といった私の形質はいずれも遺伝子の複製に役に立ちそうにない。これらは母親と共通しているし遺伝的なものと考えられる。そしてこれら中立的な遺伝的形質は、中年以降の私の人生を豊かなものにしてくれているものだ。

年をとってから今まで楽しいと思っていたことが楽しいと思えなくなった。旅行に行っても楽しいと感じられなくなった。という話をたびたび見聞きする。同年代の知人にもそのような傾向が見られるようになってきた。

こういう中年以降の意欲の低下は、中年の危機と呼ばれたりする。目標を達成した燃え尽き、はたまた目標を達成できなかったことへの失望感。それらが中年の危機を引き起こすといった心理学的な理由づけが行われている。それもあるかもしれないが、遺伝子プールの淘汰圧が人間の幸福を最大化するようにできていないことも要因として大きいのではないか。

近代以前、人間が50歳までに寿命を終えることは珍しくなかった。今なお狩猟採集生活を続けている人々も50歳くらいが寿命らしい。そもそも50歳以上生き続けることは遺伝子の複製に大きく影響しない。

50歳以降も生きがいを維持できる形質があるかどうかは、中立的遺伝子の影響によるところが大きいのではないか。50歳以降、急速に生きがいを失う形質があったところで、遺伝子の複製に特段不利に働いてこなかった。ならばそのような形質のある人が一定数いてもおかしくないだろう。(個人的にかなりの割合でいるように思う)

そう考えると私は当たりを引いたようである。若い時の苦悩(モテたい、経済力が欲しいんなど大抵は複製に関わることだ)から解放され、なおかつ、趣味を楽しむ気持ちは衰えていない。今が人生最良の時のように思える。

遺伝子の複製を促す習性とは関係のない形質を持った中立的な遺伝子たちが、私の人生を豊かにしてくれている。遺伝子プールが私個人の幸福など知ったことではないのと同様に、私も遺伝子の複製など知ったことではない。独身のまま死ぬまで自分の人生を楽しむだけだ。