前回この記事で私は感情の長期記憶が乏しく、それゆえ思い出が少ないことについて書いた。このことをさらに裏付ける決定的なことは、母親が亡くなっても寂しいと思わないことだ。

10年ほど前、私は東京から地方に戻り再び母親と一緒に暮らし始めた。そして10年後、母親は亡くなった。母親のことはいつも気にかける大切な存在だった。その母親が亡くなったのに寂しいと思うことがないのは、我ながらどこかおかしいように思う。

一緒に住んでいた頃は、常に母親の病状を気にかけ通院には毎回付き添い、食事にも気を使っていた。亡くなる1年ほど前に施設に入居し、パンデミックによりほとんど面会できない日々が続いた。その間、母親のことを考えなかった日はなかった。

それくらい大切に思っていた母親なのに、いざ亡くなってみると寂しいとは思わないのだ。母親が施設に入居した時もそうだった。最初の1ヶ月くらいは生活に穴が空いた感覚はあったが、すぐに慣れてしまい心配はするが寂しいという感情を抱くことはなかった。

前回の記事で子供の頃の状況の記憶はあるが感情の記憶=思い出がないと書いた。それと同じく「母親との一番楽しかった思い出は何か」と言われると何も出てこない。10年一緒にいて一緒に笑ったことは何度もあったはずなのにである。

とはいえ、母親のことがどうでもよくなったわけではない。母親の遺影にはほぼ毎日声をかけている。あの世の存在を信じていないが、遺影の母親の笑顔を見ると温かい気持ちが湧いてきて何か声をかけたくなるのだ。

ただ特定の出来事を思い出したりしないから寂しいと思わないだけで、母親が大切な存在だったという気持ちが薄れることはない。