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コミュ力が低い人の受け皿だったニッチな職種

ある日、旅先で自転車が故障してしまった。幸いホテルの近くに自転車屋があった。個人店で店の主人であろう無愛想な中年の男性が出てきた。見るのは翌日になるという。この日はホテルに泊まるし翌日来ればよいと思い自転車を預けた。

翌日。破損がひどく修理は困難、新しいパーツが必要という話になった。店で取り寄せて直すこともできるというが、鼻につくような対応だった。ただ人見知りなだけという気もしたが、なんとなく「もう顔を合わせたくないな」と別のお店に行くことにした。

30分くらい歩いて名の知れた自転車量販店に到着した。スタッフは若い人ばかりでハキハキと愛想よく対応してくれた。交換パーツの申し込みをして、後日修理完了の連絡を受けて取りに行った。ありがとうございました!と見送ってくれた。

その時は深く考えなかったが、後日振り返って思ったのは、自分の技術職業界もずいぶん人の層が様変わりしたということだ。昔の職場には、いわゆるオタクな風貌でコミュ力の高くない人は多かった。

最近、そういう人々を職場で見なくなった。若者に限っては皆無と言っていい。今の同業の若い人々は普通の容姿で、問題指摘の際も相手を不快にさせないよう気遣いもできる。しかしこれは私の世代と比べて若者のコミュ力が高くなったということではないと思う。

私の時代でニッチな専門職に就く人は、狭い興味を掘り下げるようなマニアアックな傾向が、ほぼ必須であったと思う。インターネットもない時代、ニッチな興味を掘り下げようと思ったら、都心に出て本屋を回るなどの時間コストがあったからだ。

しかし今の時代、ちょっと興味を持った事があれば、Googleで検索すれば取っ掛かりはすぐに見つかる。解説動画がYouTubeで見つかることもある。その職種で著名な人がブログやTwitterで発信している事が参考になることもあるだろう。

こうなるとコミュ力は低いが狭い興味を掘り下げるといった傾向がある人でなくとも、ニッチな専門職に人が流入するようになる。人並みのコミュ力があり、人並みに清潔感ある服装をした人たちである。結果、ニッチで無くなってしまった職種もある。IT業界はその典型だろう。

自転車屋の話に戻ると、今やロードバイクといえば、大抵の人がそれが何を指しているのかわかるくらいメジャーになった。若くコミュ力のある人が自転車に興味を持ち、自転車に携わる仕事をしたいと思う人も増えているものと思われる。

雇用側からすると接客業なのだからコミュ力を高い人を雇いたい。すでに深い知識があるが、ちょっとでも他人と意見が違うと興奮してしまう、口をきかなくなってしまう。選択肢があるなら、そのような人より、そこそこの知識と学習意欲があり、人とうまくやれそうな人を優先して雇うだろう。

若い頃、秋葉原のような電気街で買い物をすることがあった。店員はたいていオタクな風貌で愛想もよくない。そんなことも知らないのかと小馬鹿にしたような態度を取られることもしばしばあった。そうして彼らはスクールカーストで傷ついた自尊心を満たすという側面もあったのだろうが。

客の立場である私は、当時はある程度仕方がないことと受け入れていた。ニッチな業種のお店で、小儀礼な身なりで愛想が良く、きちんとした知識を持って説明してくれる店員と遭遇することなど稀だったからだ。ここはアパレル店ではないのだと。

そのようなニッチ業とアパレル業の店員にあったコントラストは、今やだいぶ薄れてしまったように思う。繰り返すがこれはニッチ業の店員のコミュ力が上がったわけではないと思う。もはやニッチな職種は、コミュ力が低く癖のある人間の受け皿にはならなくなったということではないだろうか。

リモートワークやウェブ収入で食えるようになったにも関わらず、現代はこれまで以上に高いコミュ力が求められる社会である、という言説に現実感がなかったが、ようやくわかった気がする。