先日、バーでマスターと話しながらお酒を飲んでいたら、なぜか地球温暖化の話になっていた。彼は温暖化は人間の活動によるものではないと信じているようだった。人間ごときの活動で地球にそんな影響を与えるわけがないと言っていた。

一時話題になった若き少女の環境活動家や、昨今の美術品にペンキをかけるといった環境活動家の抗議活動に怒りを抱いているようだった。また社会主義を支持しているようだった。

私はというとベストセラー本や有料記事などを読んだ理解から、地球の温暖化は人間の活動によるものと信じている。だが、それが100%正しいという確証もない。相反する情報がある中で科学的理解が乏しいながら、それを信じているに過ぎない。

社会主義や共産主義も積極的に支持はしていない。頑張っても頑張らなくても同じだと労働意欲が奪われ生産性が低下する、市場競争が働かないと無駄な仕事が増えて経済成長が損なわれる、政治エリートの集権化が強まるなどネガティブな印象が強い。

私は社会主義者ではないが積極的に資本主義を支持しているわけでもない。実際の社会的ポジションも資本家でも賃金労働者でもないフリーランスであるし、資本主義の利潤追求のゲームから距離を置きたいと考えている。

地球の温暖化は解決する可能性は大いにあると思っており、それは政治的規制とテクノロジーが大きく貢献すると考えている。環境活動家含め私個人の行動は問題の解決にたいして貢献しないだろうと思っている。ゴミの分別はちゃんとしないと気持ち悪いので人並みかそれ以上にしているのだが。

地球温暖化は人類の行いかどうかを信じるかという点では環境活動家と考えが一致している。しかし環境活動家と積極的に関わり合いたいとは思わない。美術品にペンキをかけるような行為は問題解決になんら貢献しないだろうし、害悪でしかないと思う。

私のような凡人一個人が政治に与える影響など一票を投じるくらいしかない。私がどのような政治思想を持とうとも、それが社会に与える影響はほぼゼロ等しいと思う。影響はあくまで総和によるものだ。たかが一票されど一票とはそういうことだろう。

だから政治や温暖化などのマクロな思想の一致は普段の人付き合いで重要事項ではない。酒の趣味が合うとかそういうことの方が大事だ。一見のお店のバーのマスターとはお酒の話は弾んだ。彼とは温暖化や政治思想の考えが異なっても共存できる人だと思う。

情報洪水によって思想分断が進むのは不可逆だと思うが、かといって思想が異なる人と付き合えなくなるわけじゃない。ということをバー通いの夜に思った次第。