高齢者の運転で幼い子供と母親が犠牲になる事故が世間の注目を集めた。その加害者は社会的地位があり、事件当初から上級国民の特別扱いが疑問視され、判決も軽いという批判もあった。

この事件とは全く関係ないところで、AIによる裁判の是非についての話目にした。リベラル知識人風の某著名人は、AIによる判決はその理由を人間が納得できない場合があるからよくないと言っていた。しかし現状の人間による判決にも不服はあるではないか。

確かにAIが出す答えは、正しくともその理由が人間の理解の外ということはある。AIはパターン認識・絵合わせのように入力から出力を導き出し、過程が不可視化されてしまうからだ。(入出力データを分析することで因果関係がわかることもあるが)

例えば非犯罪者、犯罪者のタグ付けをした大量の写真をAIに学習させる。それから学習素材以外のタグなしの写真をAIに読み込ませると、高確率で犯罪者かどうかの答えを出すらしい。AIは人間には判断できない類似のパターンを認識しているのだ。

仮に十分な犯罪事件サンプルを元に「この犯罪者の判決は何年であるべきか?」というアンケートを数万人の老若男女に行い、それをAIに学習させたとする。そして新たな事件をAIに判決させたとする。

私は現在の人間による判決より世間が納得することが多くなるように思う。先に述べた高齢者の交通事故事件も、こうしてAIに判断させると多くの人が納得できる判決になるのではないだろうか。となると某リベラル知識風の人の懸念は的外れのように思える。

しかしAIが多くの人の心情に寄り添う判決を出すからといって、それが犯罪抑止につながるのだろうかという疑問がある。刑を厳罰化しても犯罪抑止にならないという話もあるからだ。

従来の検察官が求刑し裁判官が判決を下す裁判では、裁判官が求刑より重い判決を下すことは稀だという。しかし一般人が裁判員となる裁判員裁判では求刑より重い判決になるケースが比較的多いという。AI裁判の判決が一般人の感覚に近いものになるのであれば、今より犯罪は厳罰化しそうだ。

そもそもAIを使うなら「どういう判決を下せば犯罪の抑止に繋がるか」という使い方をした方が理にかなっている。しかしそうすると人間が納得できない判決が多発する可能性があるのではないか。

人間のこの犯罪者にはこれくらいがふさわしいという感情による刑期と、AIがデータから判断した犯罪抑止に最適な刑期は一致しないだろう。そう考えるとやっぱりAIを裁判に使うのは難しい気がしてくる。ただ人間は近い将来、データ主義社会に適応しそうにも思う。