真面目という言葉の違和感
大学時代、周囲の人間はバイトと遊びに明け暮れていた。私は希望の仕事に就くべく毎日勉強していた。それを指して下宿先の大家が「君は周囲の人間と違って真面目だねぇ」と言ったことを覚えている。
社会人になってからも休日は勉強すると言うと「真面目ですね」という言葉が返ってくる。こういう時の真面目という言葉に長年違和感がある。
真面目というと性格に起因することのように聞こえる。また融通が効かない、手を抜いていいことまで必要以上にやる、といったニュアンスがあるように思う。しかし私はそのような人間ではない。
大学時代の「やりたい仕事に就きたい」というのは、熱意を持てない仕事を割り切ってやれるような人間ではないからだ。嫌なことから逃れたいから勉強していたところもある。これを真面目とは言わないのではないか。
休日勉強するのは、少なくとも今の収入を減らしたくないし、できれば仕事の時間を減らして今以上の収入が得られるようにしたい。それを実現するには勉強は不可欠だ。この勉強動機を真面目と言うだろうか。
私は打算的な人間である。無駄な努力も必要以上の努力もしない。このような人間は真面目とは言わないように思う。
辞書によると真面目とは、本気であること、嘘や冗談がないこと、誠実なこと、とある。何かに本気で取り組む時、「真面目にやるぞ」とは言うことはある。が、それ以外は私にはあまり該当しないことだ。