40代ごろから同年代の人間が、最近の世の中は、最近の若者はといったことを口にするようになるのを目にしてきた。対して私はそのような感情を抱くことが全くない。むしろ若者と話す方が新しいことが聞けて刺激的に思えるくらいだ。

最近のアニメやゲームもするし、それらを楽しいと感じるし、新しいものへの好奇心の衰えを感じない。テクノロジーの進化が幸福度に貢献するとは思っていないが、私にとって新しいものが興味をそそるものであることに変わりはない。

年齢と共に懐古主義に陥ることの原因は、老化による好奇心の衰えや新しいものへの拒絶、思考の硬直化などが挙げられると思うが、私は過去の出来事に対する感情の記憶力が影響しているのではないかと思っている。

人の昔話を聞いていると、人は私と比べて過去の出来事の記憶とセットで、その時に抱いた感情も再現できるほど覚えているように思う。私は学生時代など昔の出来事をいくらか思えているが、その時に抱いた感情まで再現できないことが多い。抱いた感情を言語化はできるが再現できないのだ。

例えば学生時代(30年近く前になる)、仲がよかった友達は誰で、どこでよく遊んでいたかという記憶はある。そしてざっくりと人並みに楽しく学生時代を過ごしていたと記憶している。

しかし「学生時代、友達との思い出深いことは何ですか?」とか「学生時代、一番楽しかったことは何ですか?」と聞かれると何も出てこないのだ。どうも私は出来事の記憶はできても感情の記憶に乏しいようなのだ。もちろん直近の事は感情記憶もあるが、人に比べて劣化が早いように思う。

人を観察していると私よりも過去の出来事と感情をセットで記憶していて、私よりも思い入れのある過去がたくさんあるように見える。それゆえ懐古主義に陥るのではないか。またそれらの記憶で脳の容量を占めているため、相対的に新しいことへの興味が乏しくなるのかもしれない。

逆に私のように過去の出来事に対する感情記憶が乏しいと過去に愛着を持ちにくい。その分、脳の容量に空きができるのだと思う。それゆえ歳を取っても何か新しい面白いことはないかと好奇心を保てる。ということなのではないだろうか。

感情の記憶に乏しいなんて、さみしい人だと思われるかもしれないが、私はこれで良いと思っている。好奇心が衰えにくいから、歳を取っても人生を退屈に感じることがないし、時代の変化に対してもストレスを感じにくいようだ。