刹那的な母親から学んだ人の幸せ
母親は日本人の平均寿命より10歳くらい若くして亡くなった。しかし母親は70過ぎた時点で十分長く生きたと思っており「幸せだったし後は苦しまずに死ぬだけ」と言っていた。実際、穏やかな余生を送って亡くなり本望だっただと思う。
母親の母親(私の祖母)は戦後の困窮の中、50代前半で亡くなった。母親の姉は60歳で亡くなっている。母親にとって今の日本人の平均年齢は頭になく、家族の彼らが寿命の基準だった。60歳を過ぎたらいつお迎えが来てもおかしくないと考えていた。
とはいえ、人生に達観した感じではなく刹那的で欲望に忠実な人だった。おいしいものを食べたい、服が欲しい、遊ぶお金が欲しいといった欲求はあり、よくわがままも言った。平均寿命まで生きる人生設計をしていないせいで年金をろくに払わず金銭面で私に迷惑をかけた。
しかし死ぬまで何かをしたいとか、いつまで生きたいとか、長期的な展望はもう持ち合わせていなかった。ただ1日1日の欲望に忠実なだけだった。幸せは今しかないとはよく言うがそれを体現する老後だった。
母親を大切に思ってはいたが、哲学的な人ではなく教養もそれほどない人だったので、生きている間は人生について学ぶものはないと思っていた。けど、子育てして人生やり切った、60過ぎたら余生、その日その日楽しく生きてあとは死ぬだけ。そういう感覚から得たものは今になってあると思う。
いついつまでにああしたい、こうなりたい。守らなければならない大切なもの。そういったものはなくていい。それなりにやりがいのある仕事をして、気ままに生きる程度の稼ぎがある。それだけで十分だし、その生活を続けていれば明日死んでもそれほど悔いはないのだ。