親ガチャの結果はおっさんになるまでわからない
親ガチャという言葉が使われるようになって久しい。自分も親ガチャという概念を否定しない。ただ大学入試、就職活動とか、10代、20代の結果でガチャを語るのは早すぎるように思う。
50歳近くになって、親ガチャの結果って自分くらいの年齢にならないと案外わからないものだと思う。じわじわと効果を発揮する遺伝的形質もあるからだ。
私は中学生の頃には一部の同級生を見て、生まれ持っての才能というものがあると気づいた。明らかに自分より時間をかけていないはずなのに成績優秀な人間がいたからだ。
自分には突出した才能がない。このまま平均的なつまらない人生で終わるのではないか。いやそんなことはない。そういう気持ちの間でモヤモヤしていた時期もあった。
けど今になって自分は親ガチャに恵まれたと思う。歳を取っても学習意欲が衰えない、共感力が低く世間の言説の影響を受けにくいというのは特に大きいと思う。
それゆえコツコツとマイペースで積み重ねることができ、今はそれなりにゆとりのある生活が送れている。
これらの遺伝的形質は、今となっては父母それぞれから引き継いだことは明らかだが、案外歳を取らないと自分でも気づかないことだ。
ネットに流布する親ガチャ論は、10代、20代で人生の結果が決まってしまうかのような論調がある。安易にそれに共感してしまうと学習無力感に陥ってしまうだろう。
その結果、親ガチャではなく予言の自己成就という形で、実際に望まない人生になってしまうこともあるだろう。