引きこもりを生み出すのは世間的には社会的、家庭的な理由である考えられている。そのことに異論はないが、通説とはちょっと違う視点を持っている。

今なおアマゾンの奥地で狩猟採集生活を続ける民族の中には、うつ病のような精神疾患を持つ者はいないという。もちろん引きこもりもいないのだろう。彼らと生活を共にした者によると、彼らは自給自足の生活の中で笑顔にあふれ幸せそうに見えるらしい。

彼らは有志以来の人類本来のあるべき生活を送っているから、複雑な文明社会を生きる我々よりストレスがたまらない、というのは理由としてあるだろう。ただ彼らは文明社会に生きる我々より、はるかに短命で過酷な環境で生活しているのも事実である。

彼らについて書かれた本の中に、幼い子供が怪我をするような行為をしていても、実際に怪我をするまで咎めないという描写がある。これは過保護に育てると自然の中で自立して生きていけなくなるという教訓からきているようだ。彼らの中に引きこもりがいないのは、それを許さない環境であるからという側面もあるだろう。

私の父親も祖父も敗戦直後の時代は貧しい生活をしていた。このような時代に引きこもりはほとんどいなかっただろう。引きこもりというのは、それができる環境があってこそ成立するのだから。

敗戦から高度成長、一億総中流の時代となり、社会制度が整備されるにつれ、自然選択のふるいの網の目は細かくなっていった。そうすると経済自立できない者もふるいの上に残るようになる。こういう環境的なことも引きこもりが生まれる要因であるように思う。

一億総中流の時代は終わり、親の収入や年金で生活できる環境はどんどん失われていっている。それと連動して引きこもりも減っていくのだろう。今までの引きこもり問題に対する社会的な努力よりも大きい影響力で。