なぜ私はマスク着用が続くことに不満を持たないのか
私はもはや感染することを気にしていない人の一人である。感染した人の話を聞いても、せいぜい数日で治っているし、重大疾患のない私が感染してもその程度で治るだろう。そういう認識である。
Twitterのトレンドに度々マスク着用に関する話題が上がってくる。中をのぞくと「いつまで続けるんだ」「いい加減にしろ」と言った罵詈雑言が多い。私は短気な性格で社会不適合者と言っていいと思うが、マスク着用については特に苛立ちの感情はなく、おとなしく従っている。なぜだろうか。
たぶん共感力が低いせいではないかと思う。共感力の低いサイコパスは他人に無関心ゆえに、自分の利害に関係しないことにも無関心という性質があるらしい。最後通牒ゲームはそのことを如実に表す例である。
マスク着用を続けることは自分にとって特に損害はないし、他人が続けることも自分に害はない。自分の利害に関しないことでは低ストレスの日和見主義と化す。対して自分の利害に関することでは世間と逆の行動をとることも厭わない。これらの相反する行動の原理は他人や社会への無関心なのだろう。
マスク着用に関する私の感情は、みんなが辞めるタイミングで辞めればいい。冬は乾燥するし都会は雑菌が多いせいか喉が痛くなるから、これからもマスクはしよう。マスクごときでストレスを溜めたくない。論争の方がうっとおしい。低共感の私はそういった気持ちだ。
今日も外出する時、靴を履くのと同じように習慣的にマスクをする。もはや自動化された習慣だ。習慣Aに新しい習慣Bをひも付けると、Aをする時、Bもしないと気が済まなくなる。そのような習性が人間にはあり勉学の習慣に役立つ。独学大全に詳しいので興味のある方は読んでみては。