まだ私がテレビを毎日見ていた頃、お笑い番組が好きでよく見ていた。中学、高校時代は昨日見たお笑い番組の話で、友達とよく盛り上がったものだった。

社会人になって数年後にインターネットの常時接続が当たり前になった。それからだんだんテレビを見なくなった。そしてお笑い番組も見なくなった。

ただ振り返ってみると、私がネットでよく目にしていた笑いの多くも、テレビ番組のお笑いと同じ類の笑いが多かった。

誰かをイジる笑い、著名人や社会を嘲笑する類の笑い。もしくは道化を演じる笑いである。いつしか私はこういう笑いに違和感を覚えるようになった。

私は7年ほど会社勤めした後、フリーランスになった。毎日顔を合わせる同僚がいなくなり、気心の知れた人との付き合いが減った。

取引先の相手はある程度打ち解けても、やはり同年代の同僚と同じような距離感にはならない。一人でよく飲みに行くようになったが、お店での人間関係にも距離感はある。

ただ寂しさを感じることはなかった。そういう人付き合いにすぐに慣れてしまったし、面倒になったら切れる関係に心地よさを感じた。

私がお笑いの類の笑いに違和感を感じるようになったのは、こういう人間関係に慣れてしまったことにあると思う。

親しき仲にも礼儀ありという言葉があるが、気心の知れた相手だからこそ、気の緩みから礼儀を欠くことをしてしまいがちなのだ。

何の気なしに言った冗談で相手を怒らせてしまったり、後になって怒らせてしまったのではないかと悔いたりする。このようなことは親しい間柄だからこそ、よく起きることだ。

逆に距離感のある相手には、ある程度礼儀的に振る舞うものだ。冗談を言うことはあっても相手を茶化すようなことはしない。いい大人ならお互いそう振る舞う。

こういった人との接し方・接しられ方がデフォルトになって久しい。だから私の生活からお笑い類の笑いが消えてからも久しい。

でもだからといって、私の生活から笑いが消えたわけではない。消えたのはお笑いの類の笑いだけである。

私はほぼ毎日アニメを観る。それで笑うことも多いが、その多くはお笑いの類の笑いではないと思う。コンプライアンスが厳しくなって制作側が気をつけているというのもあると思うが、そもそもそういう笑いの需要も減っていると思う。

お笑いの類の笑いは、テレビのお笑いブームが起点となって大衆に広がったものだろう。それは人間が笑うことの一部に過ぎない。

そしてその笑いは、やっぱり誰かのコンプレックスを刺激したり、道化を演じることを強要したりする負の側面が否めないものだったと思う。

そういう笑いはなくていいと思うし、テレビを見なくなった今の若者はそう思う人が多いのではないだろうか。

そもそも今の若手芸人の笑いは、私がお笑いの類の笑いと定義づけているものとは違ってきているのかもしれない。確認しようにもテレビがないのでできないが・・・