陰謀論にハマる人は潔癖症の一種ではないか
あちこち飲み歩いていると、稀にではあるがお店の方が陰謀論をコンコンと語り始める事態に遭遇することがある。陰謀論の全てを否定はしないが、そればかりに関心が寄ってしまう精神状態はやはり異常に見える。
別のお店でスピリチュアル系のお客さんを出入り禁止にした話を聞いた。そのお店の方は客観的に捉えていて「何かにとらわれてしまう人は、自分でもどうしようもないんでしょうね」と言っていた。
それを聞いて、潔癖症の人が汚れが落ちない気がしてずっと手を洗い続けてしまう様子が思い浮かんだ。陰謀論者もそういった潔癖症の一種ではないだろうか。
公正世界仮説という言葉があるが、陰謀論にはまり混んでしまう人は、公正世界の世界観がベースにあり、その中で汚れに相当する陰謀を目にすると、気になり過ぎる形質があるのではないだろうか。
いわば潔癖症の人が普通の人が気にならないレベルで汚れが気になるように、公正で清潔であるべき世界の汚れが過剰に気になってしまうのではないか。
最後通牒ゲームは共感力が低い人間は他人の利益に無関心ということを示している。直接、自分の財産を奪うようなことさえなければ、他人が不当に稼いでいても無関心なのだ。私もその傾向があり陰謀論に興味がないのもそのせいだろう。
不平等の発端は、人間が定住を始め、貨幣を筆頭に親から子へ財産を引き継ぐことができるようになったことが発端で、今に始まった事ではない。
そんな人類不平等の有史の中で、現代の日本に生まれてくることは、相当なラッキーであろう。自分の両親も子供の頃は貧しい思いをしていたし、戦争経験者の祖父母世代は貧しい生活の末に50代で亡くなった人も複数いる。
そういった身近な例から客観的に見て、(昨今の情勢から近い将来はわからないが)今の時代は安定して平和で飢えと無縁で、たいてい80歳以上まで生きるし、土地やイエに縛られない自由がある。
生活空間から汚れがなくならないのと同じく、人間社会の不平等はなくならないし、いくら潔癖を望んでもかなわないし、汚れと共存して生きていくしかない。
と、共感力の低い私は思うだけである。あと私は食事を目当てに飲食店に行っているのであって、陰謀論を聞きたいわけではないから、冒頭のお店の食事はおいしかったが二度と行くことはない。