現実世界とは何かを考えさせられた本

先日、「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」を読み、その次に「ピダハン」を読んだ。たまたま順に読んだのだが、改めて現実世界とは何かを考えさせられた。

「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」では、本来の世界はドロドロした無分別なものであるが、人間が分別することによって世界が形取られるのだと説く。そして悟りとはその対極の無分別智によってもたらされるのだと。

「ピダハン」は、アマゾンの奥地で狩猟採集生活を続けるピダハンの生活と言語についての本である。著者は布教を目的に彼らと生活を共にし言語を学んだが、最終的に信仰を捨てるに至った。

その理由の1つは、彼らの文化に即した独自の言語を学ぶにつれ、現実世界は言語によって形取られる部分が大きいと悟ったからだ。文化形態が違うと識別に値するもの・しないものも異なってくる。それゆえ認識上の現実世界が異なり言語も異なるのだ。

私たちの認識上の現実世界は自分が生まれる前も死んだ後も、そこにありつづけると考えがちだ。こういった本を読まないと、その考えに疑いを持つことすらないだろう。しかしその現実世界は、私たちの文化で分別するに値するものを分別した上で形取られたものに過ぎないのだ。

私たち同じホモ・サピエンスという種ですら言語によって世界の認識が異なるなら、知能が異なる種からは世界は全く違って見えるであろう。さらに言うと私たち人類が滅びた時、誰も認識しなくなった私たちの現実世界はなくなってしまうだろう。