田舎に引っ越してから、冬の夜空に星がよく見える。ベランダから数時間おきに夜空を眺めると星が移動しているのがわかる。そう、体感的には星自身が移動しているように見えるのだ。

コペルニクスやガリレオのように天文学、数学的な理屈で、星の移動は地球の自転によるものと理解している人は少ないだろう。地球が自転している理由を説明しなさいと言われても答えられない人がほとんどではないか。私もそうだ。

星の移動は地球の自転によるものと理解しているのは、ほとんどの人にとって義務教育でそのように習ったからに過ぎない。皆同じ時期に同じように習ったから、共通の常識となっているに過ぎない。皆が科学的に理解しているわけではない。

人は科学が苦手~アメリカ「科学不信」の現場から、という本で「フラットアースの会」なるものの存在を知った。地球は平らであると主張する集まりだそうだ。日本人の多くは彼らの存在を笑うだろう。しかし本当に私は彼らを笑えるだろうか。

この田舎町で星の移動を見て私は思う。もし私が義務教育などない中世の時代に生まれ、天文学者に星が移動しているように見えるのは地球が自転しているからだと言われたして、それを信じられるだろうか。

いや無理だろう。星の方が移動しているように見える直感の方を正しいと信じるに違いない。星が移動した間に地球が回っているのなら、少しでもそのことを体感できるはずだ。しかし全くそれを感じられない。地球が回っているなんてデタラメだ!そう主張するに違いない。

地球は自転しているという常識じみたことですら、私は体感することはできない。極めて頭の良い人が天体観察や数学によってその真理に到達し、私はそれを学んだに過ぎない。そしてその学びの機会を与えてくれた義務教育を無意識ながら信頼しているに過ぎない。

人は科学が苦手という本は、科学的に正しいとされる事象を本当に正しいと思うかどうかは、ほとんどの人にとって情報源への信頼であって、科学的理解によるものではないことを示す内容になっている。私はこれを読んでフラットアースの会の人を笑えないと思った。

結局、地球が丸いと信じる私とフラットアースの会の人を分け隔てているのは、科学的理解力の差、知能レベルの差ではなく、情報源に対する信頼に過ぎないのだ。地球温暖化は人為的、ワクチンの有効性、その他私が正しいと思うことも科学的理解によるのものではなく情報源に対する信頼に過ぎないのだ。