人間は過去から引き継いだ知識や知恵を積み重ね、原理が分からなかった数々の事象を紐解いてきた。遠い未来になるだろうが、人間は全ての事象の原理を明らかにし宇宙の全てを理解できるようになる。私は素朴にそう思っていた。今なおそう思っている人も多いのかもしれない。

しかし人間の脳の認識能力に限界がある以上、それは永遠に叶わないだろう。もちろん難題の解決方法を見つけたり、新しい発見をすることはこれからもあるだろう。しかしそれはどこまでいっても人間の認識能力の範囲内に限るのだ。もしくは人間の認識能力の範囲内で都合の良い解釈でしかない。

このようなことは哲学者、数学者の間ではとっくに常識と化しているようである。過去の哲学者や数学者は一つ一つの事象の原理を解明していけば、いつか究極の真理に到達できると信じていたらしい。それゆえ近代この事実に直面した時、彼らのショックは大きかったという。

凡人の私にとっては人工知能が決定的となった。人間はある人の写真を見て、それが男性か女性か、若者か中年か高齢者かの区別はつけられる。また人種も白人、黒人、黄色人種の区別はつくし、日本人なら同じアジア人でも日本人ではないこともある程度わかるだろう。

これは今まで様々な人の顔を見て学習したことで、脳がパターン認識を行うからである。同じように人工知能も「白人、男性、30歳」などタグ付けした人の写真を学習させ続けた後、学習させたことがない写真を読み込ませると、人種、性別、おおよその年齢を判別できるようになる。

同じように人工知能に様々な人の写真を「犯罪者」「非犯罪者」の情報とセットで学習させると、8割以上の確率で犯罪者かどうか判別できるようになるという。人間に同じように犯罪者と非犯罪者の写真を見せ続けても、このパターン認識能力は得られないように思う。

このような話もある。ホームセンターの売り場で従業員全員、お客さんにも協力してもらってセンサーをつけ、行動データ収集を行った。人工知能は店内のある場所に従業員が立つ時間を増やすと売上が上がると提示した。実際にそこに立つと売上が上がったらしい。その理由は人間にはわからないという。

このように人工知能は人間の認識外に何らかの法則が存在していることを示している。原理が違う知能を介すると違う世界が広がっているということだ。人の認識の数だけ世界があるというが、知能の種類だけ世界があるとも言えるだろう。

私は数学や物理の公式は、宇宙の真理の一部を人間が解き明かしたもののように思っていたが、そうではないようだ。それらは人間の認識上で起きる現象を人間同士で共通理解しやすいよう数式化したに過ぎないのだ。そもそも絶対的な宇宙の真理など存在すらしないのだ。