共感力が低いと飽きっぽく興味の対象がコロコロ変わる

とある本の中にサイコパスらしき人物が、何かに夢中になっていたと思ったら急に見向きもしなくなるという描写がありました。私にもそういう傾向があります。

その本の中では理由の分析はしていなかったですが、自己観察からその理由がなんとなく分かります。共感力が低いことに関係しているように思います。

共感力が低いと人間以外の物質的なものにも長く愛着を抱きにくい傾向があると私は思います。愛着の対象が物質であれ、間接的に人との思い出が付随することが多いのではないでしょうか?

球技のようなスポーツはわかりやすく誰かと一緒にするので思い出ができるでしょう。ジムに通うとか個人的なことでも、ジムで顔を合わせる人々との思い出ができるでしょう。

共感力が低いと人との思い出ができにくい。私個人の実体験から分かることです。共感力が低いと趣味はあくまで個人的なことで閉じたままになりやすいのです。

だから一旦飽きを感じてしまうと、そのままスパッと見向きもしなくなる。誰かにまた一緒にやらないかと誘われてもやる気にならない。同じメンツと顔合わせること自体に飽きたと感じるのです。

こう書くと人並みに共感力がある人は淋しい人間だと思うかもしれません。けど当の本人は淋しいという感情を抱く事はほとんどありません。

なぜ世間の人たちは興味の対象がそんなに狭いのかと思う事はあります。次々と散発的にあれこれ興味を持つので退屈を感じません。むしろ世間の人たちを止まった時間の中で生きて退屈そうに見えたりします。

相性良く深く刺さって長く続けるようなこともあります。共感力が低いがゆえに他人や時流の影響で止めたりしない。結果、特定の分野で才能を発揮することもあるのでしょう。