ミニマリズムがもてはやされた時期があった。物の所有は必要最低限にとどめ、ほとんど使わないものは思い切って捨てよ。自分の部屋に必要なものしかないとスッキリして、本当に集中すべきことに集中できるようになる。

このミニマリズムの思想は部分的には正しいと思う。物欲、金銭欲を差し置いて、心の底からやりたいこと、もしくはやらねばならないことがある。それをやるには無駄なことをやっている暇などない。といった場合においてミニマリズムは有効に機能するだろう。

何年も前になるが、「成功者はなぜ同じ服を着るのか」という話を読んだ。人間の一日の精神力は何かを選択するたびに削られていく。大事な選択のために精神力をとっておくには、日頃から無駄な選択を減らしておく必要がある。

その無駄な選択の代表格が「今日何を着るか」だ。毎日同じ服を着ると決めてしまえば、服の選択によって日々の精神力は削られない。この実践者の筆頭が言わずと知れたスティーブ・ジョブズである。彼は一生分のイッセイミヤケの黒のタートルネックを買っていたらしい。

この話に深く納得した私だったが、さすがに毎日同じ服を着るところまで振り切れなかった。ただ毎シーズンのように服を買うのはやめ、青とグレーのスタンダードな形の服しか着ないことにした。

そうすると服の組み合わせで悩む必要がなくなり、その快適さからシーズンごとに服を買う欲求も減っていった。ミニマリズムの一端を体験できたのである。

時間は流れ、面倒を見ていた母親も亡くなり、時間的、金銭的に余裕ができるようになった。それでまた服や飲食、旅行にお金を使い始めるようになった。簡単に堕落する自分に呆れもしたが、古くからの知人を見るうちに、これも悪くないように思えてきた。

二人の50代の知人がいるが、二人とも人並み以上に仕事をしてきたと思うし、今では金銭的に余裕がある方である。そして私同様、今さら自分を追い込んでまでやり遂げたいことがあるわけでもない。私と違うのは若い時から金銭欲や物欲が少なく、服や旅行にもほとんど興味がなく、一人は酒も飲まないことだ。

最近、彼らは口をそろえて「やる気が出ない」と言う。加齢による精神力の減退もあるかもしれないが、自分と照らし合わせると欲がないことも理由にあるのではないだろうか。

今、私は手持ちの服を入れ替えている最中である。もっと良いものを買って長く着たい。昔のようにシーズンごとに買い換えることはしない。だから服への消費は近いうちに終わるだろうし、無駄な所有物が増えることはないだろう。

しかし飲食や旅行は健康なうちはずっと続けていくことになる。続けていくためにはある程度の蓄えを残しつつ、毎月一定の金額を稼ぐ必要がある。だから仕事をする気にもなるのだ。

物であれ事であれ消費欲が少なく、消費欲を抜きとした仕事欲もない。こういう人は金銭や時間が満たされると、生きがいを失っていく危険があると思った次第。