先日内科へ行くと、足元がおぼつかず認知症を患っていそうな高齢男性がいた。奥さんらしき人が付き添っていて「ほら!ちゃんと靴履いて!」とせっつかれていた。それを見て母親のことを思い出した。

母親も認知症が進行してから、足元がおぼつかなくなり意識も低下していった。時間と心に余裕がなくなっていた私も、なかなか靴を履けない母親をせかした事もある。

母親が認知症と診断された時、すでに発症から数年経過し、中期から後期に差しかかりつつあると言われた。その時はまだ意思の疎通は取れたが、まともに取れなくなる時は近いだろうと思った。

自分の症状を理解していない母親に冗談まじりで「そろそろ老い先も短いかもしれないし、思い残すことはない?幸せだった?」と聞くと、「ない。幸せだった。あとは苦しまずに死ぬだけ」と即答した。

母親は以前に脳梗塞を起こした事もあった。それは比較的軽度で料理など多少できなくなったことはあったが、身体の麻痺はなくリハビリでほとんど元通り会話できるようになり、人間性も損なわれることはなかった。

脳梗塞を起こしてから数年後の誕生日に、「こんな歳まで生きてるとは思わなかったわ」と言った。脳梗塞を起こして意識混濁が見られた時、すぐに運んだから今も生きてられるんだよ、よかったねぇと私は言った。

すると母親は「全然覚えてないわ〜。そのまま放っておいたら、苦しまずに死ねて良かったんじゃない?」と事もなげに答え、私は唖然としたのだった。

脳梗塞を起こし病院に運ばれた時、このまま亡くなるのではないかと心配した。意識は戻っても会話はろくにできなかった。ほぼ毎日見舞いに行きリハビリにもよく付き添った。3ヶ月後には見違えるほど回復した。

そういったことをむげにあしらわれた気持ちになって腹が立った、悲しくなった、ということはない。結局、誰のためにやってきたのかと言えば、私自身のためなのだ。

母親にまだ生きていてほしい、まだ元気でいてほしい、寝たきりになってほしくない。そういう私の気持ちが第一だった。母親の「放っておいたら苦しまずに死ねて良かった」という言葉で、母親の気持ちは二の次だったことを思い知ったのだ。

それに自分ごととして考えてみれば母親と同じ気持ちだ。健康寿命を終え、体の自由が効かなくなってから何年も生きていたくはない。さっさと死にたい。そう思う人は多いだろう。

それでもこの高齢化社会では死に時を見失ったように生きている人はたくさんいる。彼らは何のために生きているのだろう。

家族のことを思うと自死を選ぶわけにはいかなかったり、もはやそれを行動に移す身体能力もなく介護されている、という人は多いのではないか。彼らは生にしがみついているのではなく、家族のために生きているのだ。

警視庁の統計によると70代の行方不明者は1万人を超えている。80歳以上も1万人を超えている。家族に自死した姿を見られるのは気が引けるという理由で、人目につかない場所で自死している人も結構いるのではないだろうか。

警視庁の行方不明者統計

ちなみに私の母親は苦しまずに安らかに亡くなった。身体の自由が効かなくなって数ヶ月後のことだった。母親の希望に近い最期だったと思う。