毎日似たような日々をループさせているだけではないか、と思うと不安に駆られる性格である。無為に時間を過ごして歳を取り、やり残したことを後悔して死んでいくのが怖い。

1990年代後半にインターネットの常時接続が普及し、私もインターネットに入り浸るようになった。その頃のインターネットはパソコンを所有する一部のユーザーが積極的に利用するものだった。

インターネットやパソコンはパソコンオタクのものではなくなりつつあったが、i-modeのサービス開始は1999年2月なので、一般人への本格的な普及はその後である。

1990年代後半はまだブログも普及しておらず、自分でウェブサーバーをレンタルして、HTML直書きで日記を書いていたような時代である。私はプログラミングができたので、もう少しマシな方法で日記を書いていたが。

その後、ブログが普及し私もあれこれ書いていた。しかし私のブログへの投稿も、それ以前にレンタルサーバーで書いた日記ももう存在しない。全部消してしまったからだ。

私は日記や記事を書いた後、数日から数ヶ月すると気に食わなくなったり恥ずかしくなったりして、削除してしまうことが多かった。さらに年単位の時間が経つとブログやサイトごと削除してしまっていた。

今思うともったいないことをしたと思う。人に見られるのが嫌なら非公開にして残しておけばよかったし、ブログのエクスポート機能などで自分のハードディスクに残しておくこともできた。そうしなかったことを後悔している。

最初に述べたとおり、毎日似たような日々をループさせているだけではないかと思うと、不安に駆られる性格である。だから過去の自分が書いたことを見ることは安心材料になるのだ。

このことに気づいたのは割と最近のことである。facebookはUIがめんどくさいのもあり、過去の投稿をあまり削除しないまま残してある。facebookはそれら過去の投稿を「思い出」という機能で表示してくれる。

正直それらは小っ恥ずかしいものであることも多い。いわゆる黒歴史である。この時はまだこんなことを考えていた思うような今の心境とはずいぶん異なるものである。それが安心材料になるのだ。

日々の自分の心境の変化は案外自分では感じにくいものである。だからウェブにログとして残っていると心境の変化を感じ取ることができる。特に私の場合、過去の自分の方が良かったと思うことは稀で今の方がマシだと思えることが多い。

なので、最近は自分が書いたことはなるべく消さないようにしている。このサイトも消さないでおきたい。