隠匿的読書生活

囚われがちの脳を読書で解放

矛盾社会序説から得られる教訓。孤立したキモいおじさんにならないために

発刊当時に読んだ矛盾社会序説。改めて読み直して思うのは、自らが社会から透明化した弱者にならないための示唆に富んでいるということだ。中高年男性はこれを読んで自分を顧みるのもよいと思う。

矛盾社会序説の内容は、おおむね以下のような内容である。

  • 弱者にはかわいそうと思ってもらえる弱者とそうでない弱者がいる
  • かわいそうな弱者は優先して救いの手が差し伸べられる
  • 対してかわいそうでない弱者は透明な存在となり、救済の対象として認識すらされなくなる
  • 付き合う相手を自由に選択できる社会は、望まない相手を人間関係から排除する自由があるという二面性を持っている
  • ほとんど誰からも選ばれずに透明化した弱者が社会に存在する
  • 社会的に透明となっている弱者にスポットを当てて論を展開
  • 今後、透明化している弱者の数は見過ごせなくなる時が来るであろうと警鐘を鳴らす

本書の目的は、多くの人が認識すらしていない弱者の存在認識を促し、自由な社会が払ってきた代償と未来に警鐘を鳴らすものである。ただこの問題に対して、個人が社会的に行動できることはほとんどないのではないか、というのが正直な感想である。

その代わりこのような現実を認識することは、自分の普段の振る舞いや人生設計について考えるきっかけにはなると思う。その意味で本書は読む価値が高い。今はまだ若く孤立した存在でなくとも、年老いた時に「かわいそうでない弱者」となり社会から透明化してしまうかもしれないのだから。

おじさん年齢になったら性的な言動は封印するべき

本書で数年前(2017年)に話題となった「ちょいワルジジになるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ」という50、60代向けの雑誌に掲載された記事について言及している。この記事は若い女性をナンパ目的で美術館へ行くことを促すような記事で、ネット上で、特に女性から大変なバッシングを浴びた。

著者は、このような手法を実践している高齢男性がいたら嫌悪感を抱く女性に理解を示しつつも、この記事は想像上の手法の一例として書かれたものに過ぎないと指摘する。その想像上の産物に対して「こんなジジイは最悪、気持ち悪い」という意見がTwitter上で噴出したことに身の毛がよだつ思いをしたという。

そのようなツイートには「キモいジジイは嫌い・不愉快・消えてほしい」という「生理的嫌悪感」が根底にあることは、ほとんどの発言者に共通していたようだとも書いている。そうこの件は、少なくない女性にとって「キモいから消えてほしいジジイ」と認識している対象が日常的にいることの表れなのだ。

著者は、この話の次に「40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす」という提言をした番組について言及している。彼らは自由恋愛市場の中で排除された存在であると。それは単に容姿の問題=キモいからだけではなく、経済力の無さによっても排除されているという。

自由恋愛社会を謳歌する一方で、独身者が社会を蝕むとする言説を憂えるのは、矛盾した態度であるといわざるをえないであろう、というのが著者の弁である。ごもっともな指摘だ。著者が説くように、自由に人間関係を選択できる社会は、自由に望まない相手との関係を排除できる社会でもあるのだ。

困窮孤立の生活を送っている40代男性が積極的救済対象とならず透明化してしまうのは、彼らがかわいそうでない弱者だからだ。その問題についてここで問うことは避けたい。そのような現実がある中で、一人の中高年男性としてどう振る舞うべきかに主眼を置きたいからだ。たとえ今は困窮孤立していなくともである。

先程の美術館で若い女性を狙う高齢男性は架空の存在だが、ごく最近、実在の高齢男性に対してキモいジジイ叩きに相当するバッシングがあった。2021年、コロナ禍のオリンピック開催という状況での名古屋市市長・河村たかし氏による金メダルかじり騒動である。

河村氏は同名古屋市出身の若い女性選手と会見した際、彼女の金メダルをかじって大変なバッシングを浴びた。彼女に対してセクハラと捉えかねられない質問もあり、Twitterでは生理的嫌悪を露わにするバッシングツイートが多く見られた。

正直なところ彼は少なからずの人に、時代感覚をアップデートできていない典型的な昭和オールドタイプとして認識されそうなキャラクターである。支持者もいるが、もともと生理的嫌悪感を持っていた人も相当数いたであろう。彼らにとってこの一件は、社会正義の名の下にバッシングできる格好の機会だったと思う。

メディアの記事上は「本人以外がメダルをかじることなどあり得ない」「コロナ禍の中でマスクを取ってかじることは衛生面からもありえない」といった論調であった。しかし本音を吐き出せるTwitterでは、若い女性の前でセクハラまがいなことを言い、ジジイが汚い口で金メダルをかじるなといった生理的嫌悪を含む罵声が多く見られた。

普段から自分がキモいジジイと認識されているかも知れないという想像力と緊張感のない態度でいると、こういう地雷を踏みかねないのである。そして周囲から距離を置かれる羽目になり、ゆくゆく社会からの透明化してしまうかも知れないのだ。

河村氏は社会的地位があり、打たれ強さも常人以上であろうから、バッシングを浴びた後も市長の座にいる。年明け正月の彼のツイートには支持者の応援も多く寄せられていた。彼はこのようなバッシング後も透明化した弱者となることはないが、大した地位のない庶民は身近な人々のバッシングすら致命的になりかねない。

性的な言動にブレーキのない人間は、他の事でもデリカシーのない発言をして、ひんしゅくを買っているものだ。本書では60歳以上で友達がいない男性は4人に1人という内閣府の調査を挙げている。その中にはあからさまなバッシングを浴びることはなくとも、それとなく距離を置かれてそうなった人もいるだろう。

本書や河村氏の一件から学ぶべきことは、自分が中高年となった時、キモいジジイとして排除されないよう心がけることだ。私も今や40代ひとり暮らしの男性の一人であるが、望んで独身でいるし幸い食べていける収入は維持できている。が、キモいジジイと認識されないよう公の場での性的言動は封印している。

私はよく一人で飲みに行くので、バイトの若い女性と顔見知りになることもある。容姿が良いと思う女性がいても、それを口にすることはない。第三者が「彼女かわいいよね」と振ってくることもあるが、「若い子はみんなかわいい」と言ってスルーし、容姿の良し悪しに関わらず、なるべく平等に接するように心掛けている。

そのような酒の場では、中高年男性が平気で彼女たちの容姿の評価を下す発言をしていたりする。直接遭遇したことはないが、それが原因で女性が泣いたという話を聞いたこともある。そのような振る舞いを続けている者こそが、後々透明化した存在として孤立の老後を送りかねないと思うのだ。

私はネット上で生計を立て住む場所も選ばなくてよい身だ。だから既存の人間関係で地雷を踏んでも、遠方へ引っ越して新たな人間関係を築くこともできる。ただ自分が60代、70代となった時、今と同じようにフットワーク軽く動けるか、今の収入を維持できているかはわからない。

だからこそ、今のうちから言動には気をつけているのだ。

後編へ続く(予定)