隠匿的読書生活

囚われがちの脳を読書で解放

「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」の感想

Amazonで「認知バイアス」で検索すると関する本は何冊も見つかるが、本書は2020年に出版された最近のものである。

認知バイアスにまつわる本を読んだ人なら、読んだことがある内容が多いかも知れない。しかしこの本は、とても読みやすい文章でページ数もほどよい。思考が偏ってるかも?と思った時に、ふと読み返すのにちょうどいい。

情報化社会において認知バイアスがもたらす悪影響は周知の通りである。認知バイアスについては義務教育の中でしっかり教えた方がいい。この本は大学で講義している人が書いているので、教材としても適していると思う。

読んだことがある内容が多かったが、それでも初めて知る驚く内容もあった。特に印象的だったのが「言語がもたらすバイアス」の章。言語習得する、語彙が増えるということは、むしろ認知バイアスを退ける効果ばかりのように思いがちだが、どうもそうではないようだ。

まず言語習得が絵を下手にするいうもの。言語障害があるけど絵がうまい人というと、日本人なら山下清を思い浮かべる人が多いかもしれない。本書では海外のケースだが、重度の自閉症の6歳の子供が描いた躍動感のある馬の絵が紹介されている。

著者が講義の中で「実写的な馬」を大学生に描いてもらった絵も載っており、こちらのほうが6歳児が描いたものに見えてしまう(笑)。私も写真も見ずに描いたら似たような絵になりますが・・・言語能力が発達すると実写的な絵画能力は後ろに回るようなのだ。言語能力も高くて絵もうまい人もいるので退化するということではない。

見たままを記憶する写真的記憶という能力は、まだ言葉がおぼつかない幼児やチンパンジーに顕著に見られるらしい。本書でチンパンジーの写真的記憶の能力を示す動画が紹介されている。

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ランダムに表示された1〜9の数字を、小さい方から順にタッチする実験で、チンパンジーは素早く押していく。ほとんどの人間より早いはずだ。写真的記憶がもたらす能力なのだろう。野生に生きる彼らにとって、見たままを記憶する能力は重要である。

本書では、人間は言語習得と共に写真的記憶が失われるわけではないとも付け加えている。ただ表に出にくくなるだけだと。言語能力が生きていく上で重要な環境では、言語能力が写真的記憶能力より優先して使われるようになるということだろう。

ちなみに私は短い数字の短期記憶が苦手である。パスワード認証の際に二要素認証で6桁の数字が求められることがある。これすら覚え間違うほど短期記憶がひどいのだ。けど画像として目に焼き付けることを意識すると間違いが少なくなったのだ。

たとえば「531672」とい数字を「ごーさんいちろくななに」と言語で覚えるのではなく、目に焼き付けるように画像として覚えることを意識する。こうしたほうが入力間違いが少ない。能力を「賢い←→おろか」という一次元的に測る考えもバイアスということなのだ。

言語によるバイアスでもう1つ印象的なのは、水が入った2つのコップを傾ける話である。2つのコップは高さは同じだが幅が異なる。2つのコップの水の水位は同じ高さまで入っている。この2つのコップは同じペースで傾けると、幅が広いコップの方が早く水がこぼれる。

これを水がこぼれるのはどちらが先か、もしくは同じかと質問すると、正解する人は少ないらしい。私も同じだと思った。しかし目隠ししてコップを傾け、水がこぼれる直前に止めてくださいという実験にすると、多くの人が幅の広いコップを先に止めるという。頭でわかっていなくても、体はわかっているということらしい。

いろいろな認知バイアスの話を挙げた上で、二重過程理論のシステム1(直感的で早い)、システム2(熟慮的で遅い)という区別は陳腐だとしている。言語によるバイアスにあるように、熟慮よりも直感の方が論理的に正しい解を導くこともある。本書では認知バイアスに従った方がうまくいく場合もあることを示唆している。

最後の章は「認知バイアスというバイアス」というタイトルを付けて以下のように説いている。

ある課題を用いてできないから人は愚かだとか、逆に別の課題を用いて成功したので賢い、などどいう結論を出すこと自体が大きな間違いであることがわかる。またそれがどちらのシステムなのかと問うことも生産的ではない。

とかく認知バイアスというと負の側面しかないように思いがちだし、私もそのように思っていた。でもそれすらもバイアスだったのだ・・・

いずれにせよ、現代の知能社会、技術社会を直感だけでは生きられないし、認知バイアスメタ認知することを意識したい。そのためにも、この手の本はたびたび読み返すべきだと思う。