隠匿的読書生活

囚われがちの脳を読書で解放

1895年の若者が書いた時間旅行小説・タイムマシン

ウェルズの小説「タイムマシン」はタイムトラベル小説の元祖と言われている。ウェルズ29歳、1895年に書かれたものだ。

タイムトラベルについての考察本「タイムトラベル」によると、人類は長い間、タイムトラベルという空想と無縁に生きてきたようである。思いついた人はいたかもしれないが、タイムトラベルという概念を持ち出した話は、この小説以前には見当たらないらしい。

浦島太郎のように、自分以外の周囲だけ早く時間が過ぎるといった話は、過去にも世界に散見されるようである。しかし現代から未来へ行って、また現代に戻ってくる「時間旅行」という概念が登場する話は、ウェルズの「タイムマシン」以前にはないらしい。

「タイムトラベル」によると、人類は長い間、変化の少ない世界で生きてきた。自分、親、祖父母、そして子供も孫もひ孫も、ほとんど変わらない世界を生きていた。人類の終末を信じられることはあったが、占い師が100年後の世界を予言するようなことはなかったそうだ。変化が乏しい世界では、その必要もないからだという。

時間経過と共に世界が変化していくことが、誰の目にも明らかになった産業革命以降になって、タイムトラベルという概念が生み出されたようだ。本書のあとがきにもあるが、家庭用ビデオデッキが普及するまで、動画の巻き戻し、早送りも一般人に馴染みのないことだった。

今、当たり前のように人類が共有している四次元目としての時間概念は、長い間、人類の蚊帳の外だった。ということを知ってから、本書「タイムマシン」を読んだ。予想できたことだが、現代のタイムトラベル物は、ウェルズの時代からかなり昇華されているという感想を抱いた。

本書はタイムトラベラーが未来へ行き、現代に帰ってからその体験を淡々と語るという内容で、娯楽作品というよりは人類の未来を憂いた哲学思想的な内容になっている。またこの小説で過去へ行くことはない。過去の行動で歴史が改変され、現代に影響を与えるというお馴染みの概念は、後に生み出されたのだとわかる。

この小説の未来の人類は、地上で過ごすイーロイと地下で過ごすモーロックに分かれ、外見も異なる。資本家と労働者の分断の成れの果てとタイムトラベラーは分析する。現代人が読むと荒い設定に感じるが、科学が発展しあらゆる難題が解決してしまうと、人類がイーロイのようなってしまう可能性はあるように思う。

未来の地上は楽園のように描かれている。果樹で満たされ、病気は根絶され、イーロイは苦労と縁がない。のちにモーロックに捕食される存在であるとわかるが、イーロイはその日暮らしで穏やかに生きている。地上の楽園に生きるイーロイは無垢な幼児のように描かれているのだ。

それを見たタイムトラベラーは、人類の衰退期に来たようだと言う。そして、このように語る。

万能の知性というのは、変化、危険、困難の代償で、つまりは自然の法則なのだが、とかく人はこのことを見落としがちだ。

変化、もしくは変化の要求がないところに知性は育たない。種々さまざまな必要と危険に否応もなく向き合う生き物だけが知性に覚醒する。

この台詞はウェルズ自身の思想をタイムトラベラーに代弁させたものと思われる。進化論を前提とした思想だが、進化論すらこの時代に大衆に広く受け入れられていたわけではないだろう。

現代人には娯楽作品としては味気なくとも、1895年に29歳の若者によって描かれた作品として読むと、やはり驚きがある。私がこの時代に生まれたとして、タイムトラベルという概念を思いついたとは思えないし、29歳で人類の未来をこのような哲学的思想をもって危惧できたとは到底考えられない。