隠匿的読書生活

囚われがちの脳を読書で解放

現代人が蟹工船から得られる教訓はなんだろうか

いまさらながら蟹工船を読んだ。1920年、太平洋戦争前に書かれた小説であるが、現代も資本主義批判の題材として取り上げられることも多い。結局、搾取の構図は当時も今も変わっていないのだと。

著者の小林多喜二は、蟹工船および以降の作品が原因で要注意人物としてマークされ、最期は警察に捕まった後、亡くなった。遺体の状況から拷問死だと言われている。29歳という若さだった。そういう著者の死からもこの作品は知名度が高い。

しかしいざ蟹工船を読んでみると、あまり洗練された文章には思えなかったというのが正直なところだ。方言が多いことも読みにくい理由にあるけど、登場人物一人一人を個別に認識しづらく、比喩表現も今ひとつ映像として浮かびにくい印象だった。

私が読んだ本にはあとがきがあり、そこで小説家の野崎六助氏がこう書いている。

彼らには、名前も、個性も、要望も、内面心理もない。作者によって剥奪されている。記号だ。現実世界で決定的に非人間化されている集団の真実を形象化するために、作者は決然として、個人のリアリティのない<人間>を描くことを選んだ。

私のような素人ではなくプロの小説家が言うのだから、そういう意図があったのかもしれない。ただそれが効果的に働いているかというと疑問がある。むしろリアリティのある人間として描き、彼らにもっと感情移入させたほうが読み手の怒りをかき立て効果的だったように思う。

この小説は著者が25歳の時に書かれたものらしい。あとがきの野崎氏によると著者と交流があった中野重治蟹工船をこのように評価したとある。

「北海道の二十五歳の一銀行員が自分の体験しない世界を描いたもの」と評価した。

〜中略〜

最もよく読まれている小林作品が、プロレタリア文学の青春の、若い苦い果実でしかないと断定したようなものだ。

リサーチが不足した上で想像で描いた未熟な作品という意味だろうか。また著者が尊敬する志賀直哉に自分の作品の感想を聞かせて欲しいと手紙を送った時、志賀は以下のように返事を書いたらしい。

小林多喜二と志賀直哉—志賀を敬慕した多喜二の死、志賀は「実に不愉快、暗澹たる気持ち」と‥ - 彦四郎の中国生活

「‥‥私の気持ちから云えば、プロレタリア運動の意識が出てくるところが気になりました。小説が主人持ちである点を好みません。止むを得ぬことのように思われますが、作品としては不純になり、不純になるが為に効果も弱くなると思いました。大衆を教える云うことが多少でも目的になっているところは矢張り一種の小児病のように思われました。‥‥‥」

私も似たような印象を持ったというのが正直なところだ。宗教の教祖が自分の教えの正当性を広めることを目的として書いた話のような印象。だから文学的な印象を持てず、小説として洗練されているように思えないのだろう。ただ書いた動機が明確だから話の筋はわかりやすかった。

  • 仕事を求める貧しい人々が蟹工船に乗ることになる
  • 労働者は北海道の北の海で重労働を強いられる
  • 船で一番権力のある監督の支配下で、労働者は奴隷のような扱いを受ける
  • 船が遭難し岸に着いた時、そこに住むロシア人に救われる
  • そのロシア人は働かないでお金を儲けている人がいるが、働くプロレタリア(労働者)が一番偉い、あなた達プロレタリアが団結すれば勝てると言う
  • 監督は仕事上で労働者を競わせ勝者には景品を与えることで、劣悪な労働環境でやりがいを与えた。対して一番働きの少ない者には焼きを入れた
  • 監督は労働時間を厳守するからロシアはダメになった、日本男児は真似してはならないと言ってハッパをかける。その言葉にペテンと思う者もいたが、日々の苦しさが英雄的なものに思えてしまう者も多くいた
  • 労働者たちは自分たちは劣悪な環境で安い賃金でこき使われているのに、資本家は働かず豊かになることを強く自覚するようになる
  • ある時、死者が出るが、監督の命令によってろくに弔われず海に捨てることになった
  • 労働者たちは我慢の限界になり、団結してストライキを起こす
  • しかし監督が呼んだ護衛の軍艦から水兵たちが現れ、ストライキを主導したとされる代表者たちが拘束されてしまう
  • 労働者は「俺たちに味方はいない、帝国軍艦も大金持ちの手先だ、国民の味方だなんて糞くらえだ」と言う
  • しかしもう一度だと労働者は団結してストライキを起こし、ついには監督を追いやる(ここは詳細はあまり書かれず、あっさり後日談のように終わる)
  • 監督はストライキのような不祥事を引き起こし、生産高に大きな影響を与えたという理由で、あっさりと解雇された
  • その時、監督は今まで騙されていたと言う(監督もまた資本家から見れば、使い捨ての労働者の一人に過ぎなかった)
  • 最後に"この一遍は、「植民地における資本主義侵入史」の一頁である"と書いて終わる

資本主義、日本軍、帝国主義に対する批判、ロシア共産主義への好意がこめられていることがわかりやすい。

この小説は実話ではないが、この時代に蟹工船は実在しており、同様に過酷な労働環境であったことは変わりないようだ。話の中に出てくる炭鉱の仕事も命がけの重労働だった。炭鉱の仕事の方が全国各地にあったので、親世代から話を聞いた人も多いのではないだろうか。私も親から祖父母の話として聞いたことがある。

この時代は機械化も進んでおらず重労働で危険な仕事が多かった。労働者を守る組合も法律もろくになく、命の危険があるような過酷な労働環境で弱い立場の人が選択の余地なく働かされていた。かといって蟹工船の話を現代に当てはめて「今も昔も変わってない」と言うのは言い過ぎではないかと思う。

小泉構造改革による時代転換の過渡期、労働市場・労働環境に強い歪みが生じたのは事実だと思う。非正規雇用が増え、弱い立場の人を囲って劣悪な環境で低賃金で働かせることが横行したのも事実。ただその後、問題認識が広まり改善があったことも事実だと思う。

ブラック企業という言葉が周知されるようになり、インターネット時代、特にSNSもある今、過労死や労苦による自殺者が出れば、企業は徹底的に叩かれるようになった。今の企業は以前に増して世間の厳しい目にさらされているのも事実ではないだろうか。

さすがに今は蟹工船のような労働環境はそうはないはず。蟹工船は乗ってしまったらそれこそ逃げ場がない。マインドコントロールのような精神的な追い込みではなく、物理的に外に助けを求めることはできない。その上で死と隣り合わせの仕事をしなければならない。ここまでの労働環境は今の日本ではそうそうないだろう。

また終身雇用が維持されていた時代の方が、今より労働環境が良く幸せだったというわけでもないだろう。当時は当時で会社員を辞めるということは落伍者になるかのような印象があった。労働市場の雇用流動性が低いから転職も今よりハードルが高かった。それゆえ人生に束縛感を感じていた人も多かった。

つまり多くの人が会社に人生を握られている状況だった。うかつに会社を辞められないからこそ会社の命令は今より強権的だった。望まない転勤を断れなかった人も多かった。当時から過労死は問題になっていたにも関わらず、「24時間働けますか?」といった栄養ドリンクのコマーシャルが公然とテレビで流れていた時代でもあった。

そんな親世代をもつ私の年代は、それをレールの上の人生だと嫌って自ら非正規雇用の道を選んだ人もいた。70年代生まれの私には、当時の時代感覚はリアルなものとして記憶にある。その時代の若者を体よく利用する者が現れ、理不尽な非正規労働環境が蔓延したのも事実だろう。

私も派遣会社の下で日雇い労働をしていたことがある。現場に全く立たず上前をはねるだけの輩も見てきた。彼らは当然私のことなど駒としてしかみていなかった。私は就職してそこから脱することができたが、取り残された人もいたことは想像できる。

その後、非正規雇用の労働環境問題が広く認識されるようになった。しかし今なお世間から見えにくいところで、経済的に弱い立場の人々が半ば選択の余地なく、低賃金で働かされている。正社員でも無理な仕事を押しつけられ、精神的に追い込まれ、ストレスをためている人、うつになり働くことが難しくなってしまった人、自殺していまう人は今もいる。

いつの時代も資本主義社会において資本家(経営者)と労働者の間には相容れることのない利害対立と軋轢が存在するのだろう。ただ何も変わってないと言ってしまうと、改善しようとしてきた人たちの歩みも踏みにじるように思う。それに弱者が虐げられるという事象は資本主義にのみ起きることではないはずだ。

著者は共産主義支持者であり、実際に共産党員でもあったことに触れずに、この小説をネタに資本主義のみ語るのはフェアではないと思う。小説の中に当時のロシア共産主義を讃辞するような場面がある。この時代の列強国による植民地化、帝国主義を後押ししているのは資本主義だと考える人も多かったようだ。そのアンチテーゼとしての共産主義に著者も傾倒したのだろう。

しかし彼は太平洋戦争前に亡くなった。冷戦を経て共産主義社会主義が起こした悲劇や衰退を見ることもなかった。もし彼が生きてそれを見ていたらどう思っただろう。現代を生きている私たちは、その歴史も含めてこの小説について考えるべきではないだろうか。

自由市場経済を否定した国では、計画経済を行う政治エリートたちに富が集中し、そしてまた強者と弱者の分断が起きた。民衆は政府の監視下におかれ、反乱分子と見なされれば投獄、拷問、虐殺されることも起きた。つまり資本主義以外を選択しても、蟹工船の著者と同じような悲劇は起きた。

市場経済以外でも国家繁栄を名目とした公共事業として劣悪な労働環境が生まれ、そこで弱者が働かされる状況は生み出される。主義や社会システムが何であれ、人間社会に強者と弱者という分断が生まれる以上、いつでも弱者は虐げられうるということだろう。

この小説から現代人が学ぶべき教訓があるとすれば、搾取しようとする強者に対して団結して立ち上がる勇気を持たなければいけない、多数の弱者が団結すれば少数の強者を倒すことができるということではないだろうか。

この小説の話の中に、劣悪な状況の中で労働者を競わせて賞品を与えたり、労働時間を厳守するからロシアはダメになった、日本男児は真似してはならないと言ってハッパをかける描写がある。これは今で言うところのやりがい搾取だろう。

現代の経営者があおる人間教育や家族感演出も似たようなものだと思う。それらは搾取のための欺瞞に過ぎない。それ受け入れてしまうと、理不尽な労働環境も受け入れてしまうことになる。小説の中に仕事の出来が悪い者に焼きを入れる描写もあるが、現代でも誰かをスケープゴートにして社員の士気を維持することは行われている。

私は若い時からこういったことに不快感を持っていた。当時は資本主義がどうとかまでは考えていなかったが。いずれにせよ現場で働いているのは自分で、雇用側はそれに見合った報酬を払うのが当然だ。それだけの関係なのに人間教育、家族という概念が入る隙がどこにあろうか。そう考えていた。

この小説の話にあるように労働者が団結して働くことを辞めれば、経営者も損失を被るから困るのだ。現場で働く立場のみんながおかしいと思うなら、みんなでおかしいと声を上げることが大事ではないだろうか。蟹工船の話が現代にも通じる教訓を与えてくれるとしたら、そういうことではないか。

マルクスが生きた時代の粗暴な資本主義からの労働環境改善は、そのようにして労働者の権利を訴えてきた人々の歩みによるものだろう。